心に留め、押し流されないように

聖句:

“こういうわけで、私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留め、押し流されないようにしなければなりません。”

ヘブル人への手紙 2章1節

観察:

           ヘブル書ぼ著者は、聞いたことを、しっかりと心に留め、押し流されないようにしなければならないと記しています。世の中には、クリスチャンたちがはまってしまい、本来の目的から押し流されてしまう矛盾する情報やアイデア、意見や議論が溢れています。様々な議論と、神様の知識に逆らって立つものが多く存在します。これらの思考やはかりごとは取り押さえ、キリストに服従させなければなりません。

            私たちが心に留めるものは、私たちの目を捉え、そして、方向づけるものです。 私たちが心に留めることがらは、私たちにとって重要なものです。 それらすべてが正しく見えるかもしれません。そして、自分にはそれらを行う権利があると感じるかもしれません。 しかし、すべてが有益であるとは限りません。 また、私たちは何でもする権利があると主張しているかもしれませんが、すべてが建設的であるわけではないという聖書のみことばを思い起こします。 私は、何に心を留めるべきかを選択し、決して強制されてものごとをするべきではないのです。

ヘブル人への手紙の著者が信者に心を留めるように促したことは、彼らがキリストと救いについて教えられたこと、そしてキリストが私たちを救いに導くために完全に人間であり、同時に完全に神であるとされたことです。 多くの人が、キリストが肉として来られ、世のために死なれたことの信憑性を論じました。 キリストが肉を持って、処女から生まれ、救いをもたらしたことは、クリスチャンの信仰の基礎となるものです。 私たちはこの知識から外れてはいけません。

            しかし、この原則は人生の他の分野にも当てはまります。 私たちは、人生において大切にしている真理を持ち続けるべきなのです。 私は、自分の人生における神様の目的と召命を持ち続けなければなりません。 もし私が神様が愛するものや神様の持つ真理を大切にしないとしたなら、私は神様の真理から遠ざかってしまうことでしょう。 最初に与えられたミッションやビジョンの意図するることに目を向けない教会や組織も同じです。 これは、私の個人の人生にも当てはまります。 神様の目的とビジョンに近く立っていたいと思っていなければ、私は神様と神様の目的から離れて行くことになってしまいます。

適用:

私の人生における神様の目的と価値に心を留めるよう、あらためて教えらたことを感謝します。 私は、聖書が教えている通りに、神様の真理と目的にこだわることにコミットします。私の中にあるキリストの知識に反する議論に飛び込むことはしません。 私は、イエスさまの言葉を読み、思いを巡らすことを通して、毎日イエスさまの真理に心を向け続けていきます。

祈り:

            イエスさま、あなたが私に与えてくださった価値、目的、ミッション、そして、ビジョンに心を留めることを教えてくださり、感謝します。聖霊が私の心にあなたの真理を焼き付け続け、私があなたの言葉に心を留めることができるように助けてください。 私があなたを恐れ、従順になり、この人生であなたが私に望んでいることを行うことができるように教えてください。 私が世の中に押し流されることなく、あなたの真理に忠実であり続けられるように助けてください。