聖なる、傷のない、責められるところのない者

「あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。 しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。」(コロサイ人への手紙‬ ‭1‬:‭21‬-‭22‬)

私たちは、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していたとある。確かにそうだ。

キリストのもとに来る前は、自分勝手な生き方をしてきた。神に敵対するようなことばかりだった。親や先生の前で良い子ちゃんでも、一旦養育者を離れると、神ご自身を意識しない限りは、常に調子良く、表裏のある生き方にしていた。

 しかしそんな私を御子イエスキリストはその肉のからだにより、その死をとおして、私たちを神と和解させ、私たちを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、神の前に立たせて下さった。

私たちは、もうすでに、聖なる、傷のない、責められるところのない者として神の前に立った者である。

ならば、かつての悪い行い、神への敵対することに戻る必要はない。神を常に意識しない限りは、私たちは徐々に神の前に立ったことを忘れ、感謝を忘れかねない。

だから、私たちが聖なる、傷のない、責められるところのない者とされたことがいかに素晴らしく大きいことか、神に感謝をしていきたい。

愛する天のお父様、あなたが私たちを聖なる、傷のない、責められるところのない者としてくださったことを感謝します。あなたの御名をほめたたえます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。