苦しみを分かち合う
「私なら、神に尋ね、神に向かって自分のことを訴えるだろう。神は、測り知れない大いなることをなし、数えきれない奇しいみわざを行われる。」(ヨブ記 5:8-9)
ヨブは三人の友人たちの前で自分が置かれていた苦しさを吐露した。「私がおびえていたもの、それが私を襲い、私が恐れていたもの、それが降りかかったからだ。安らぎもなく、休みもなく、憩いもなく、心は乱れている。」(ヨブ記 3:25-26)
ヨブの友人のテマン人エリファズがヨブに向かって、こう言った。「さあ、呼んでみよ。だれかあなたに答える者はいるか。聖なる者のうちのだれのところにあなたは向かうのか。」(5:1)「私なら、神に尋ね、神に向かって自分のことを訴えるだろう。神は、測り知れない大いなることをなし、数えきれない奇しいみわざを行われる。」(5:8-9)
まだ苦しみを受け入れるのに葛藤するヨブに対してエリファズは、神を呼べと勧めた。そして「私なら、神に尋ね、神に向かって自分のことを訴えるだろう。」と言ったが、このこと自体は間違いではない。ヨブも神を呼ばないわけではない。むしろヨブは神をほめたたえた。
私たちの家族や友人が苦しみにあった時、先ずは苦しみや痛みの共感が大切だ。神を呼ばないわけではないヨブを前にして、先ずは友人としてヨブの辛い気持ちを聞くことをできたのではないだろうか?
私たちは周りにいる人々、特に家族や友人の辛さや苦しみに耳を傾けることができる。人々の辛さを共感できる者でありたい。
愛する天のお父さま、あなたは私たちの苦しみをよく理解してくださる方です。私たちの周りにいる人々の気持ちを理解できる者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
