信仰の実
「しかし、良い地に落ちたものとは、こういう人たちのことです。彼らは立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐して実を結びます。」(ルカの福音書 8:15)
種蒔きの話では、いくつか落ちた種の中で、生長して百倍の実を結んだ種は良い地に落ちたからである。(ルカの福音書 8:8)
良い地は肥料が分段に蒔かれ、さらによく耕かされ、太陽と水を十分に与えられて、頻繁に雑草を除去するなど種が成長しやすい環境になっていたからであろう。良質の耕作地には自然の恵みと人間の弛まない手入れが欠かせないのだ。
私たちの心も同じである。「良い地に落ちて百倍の実を結ぶ」のは、立派な良い心でみことばを聞いて、それをしっかり守り、忍耐した」(ルカの福音書 8:15)ことにある。
立派な良い心は、芽を出さなかった別の種の状況を見てみるとよくわかる。その前に、種はみことば、つまり神のことばを表し、私たちの心とどのような関係にあったのかをみたい。
道端に落ちた種は、みことばを聞いても信じて救われないように、後で悪魔が来て、その心からみことばを取り去ってしまった。みことばを信じないように悪魔に妨害されたのである。
岩の上に落ちた種は、みことばを聞くと喜んで受け入れるのですが、根がないので、しばらくは信じていても試練のときに身を引いてしまう状態。試練によって信仰が長続きできなってしまった状況だ。
茨の中に落ちた種は、みことばを聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれてしまった状態。だから実が熟すまでにならなかった。(ルカの福音書 8:12-14) 信仰が塞がれてしまったのだ。
百倍の実を結んだ、良い地に落ちた種は、同じ種なのに百倍の実を結んだ。私たちの心が立派で良かったとは、みことばを取り入れ、成長できるように耕し続けたことだ。私たちの信仰の火が消えないように、みことばを守り、発芽させ、成長させた。嵐や日照り、水不足などの厳しい環境下でも諦めずに信じ続け、信仰を塞ぐものを撤去する努力を惜しまない。このように手をかけ続けた心から百倍の実を結ばれる。
信仰を持ち続けるのは楽ではなく苦難が伴うこともあろう。それでもイエスキリストに目を留め続けるなら、神が実らせてくださる多くの実を結ぶことができる。
さて、主がどんな実を結ばせてくださるのか、楽しみである。
愛する天のお父様、あなたが私たちにみことばをくださり、ありがとうございます。あなたを信じます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
