「陶器師の手の中にある粘土のように」
「イスラエルの家よ、わたしがこの陶器師のように、あなたがたにすることはできないだろうか──主のことば──。見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたはわたしの手の中にある。わたしが、一つの国、一つの王国について、引き抜き、打ち倒し、滅ぼすと言ったそのとき、もし、わたしがわざわいを予告したその民が立ち返るなら、わたしは下そうと思っていたわざわいを思い直す。わたしが、一つの国、一つの王国について、建て直し、植えると言ったそのとき、もし、それがわたしの声に聞き従わず、わたしの目に悪であることを行うなら、わたしはそれに与えると言った幸せを思い直す。」(エレミヤ書 18:6-10)
イスラエルの民は、主なる神に従わず、主の目に悪であることを行っていたため、主は彼らに立ち返るように言った。もし主がわざわいを予告したイスラエルが立ち返るなら、主は下そうと思っていたわざわいを思い直すと言われた。
悪に対して災いが降るのは神の方法であるが、災いが降るのは必ずしも悪が原因とは限らない。罪からくる報酬は死とある。罪を犯し続けるなら幸いは続かないのも確かである。神のわざは因果応報を超え、憐れみを与え、また苦しむも神のご計画の中にあることだ。
どのような状況においても変わらずに主を礼拝する者でありたい。
愛する天のお父様、あなたは陶器師のように私たちの人生を造り、また造り直すことのできるお方です。あなたを信頼します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
