主の目にかなうことを行う

ウジヤは十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレム出身であった。彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。神を認めることを教えたゼカリヤが生きていた間、彼は神を求めた。また彼が主を求めていた間、神は彼を栄えるようにされた。(歴代誌 第二 26:3-5)

ウジヤは長年エルサレムで王であった。ウジヤはすべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行った。父の良い影響も少なからずあったに違いない。ウジヤは52年間神を求め、主の目にかなうことを行い続けるのは至難の業だが、ウジヤの父アマツヤもウジヤ自身も主の目にかなうことを行ない続けた。

特にウジヤには、主の目にかなうことを行い続けた父アマツヤと、神を認めることを教えたゼカリヤという素晴らしい模範が二人いた。私たちの人生にも良き模範が必要だ。良き模範がいることは祝福だ。しかし、もし私たちに良い模範がいないのなら、私たちが周囲の模範となることができるだろう。

主の目にかなうことは、人々の目にかなうことと違う。人はうわべを見るが、主は心を見られるからだ。私たちが忠実に仕えているかどうかを評価することは、私たちが忠実に仕えていない限り評価することはできない。主の目にかなうことを行なっている人にしか、主の目にかなうことが何であるのかわからない。

人の目には愚かで魅力に欠けることであっても、主が良しとするなら、主の命じられたことを行い続けたい。

愛する天のお父様、あなたの目にかなう者としてください。世の価値観を捨て、あなたの前に忠実でありますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。