私たちの先生、私たちの父、私たちの教師

「広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。 しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。 また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。 また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。」(マタイによる福音書 23:7-10)

自分を他者と区別し、他者より特別な称号で呼ばれたり、特別扱いを受けることに快感を覚えるのはナルシストの境地と言えるだろう。特定の立場的にいることで人々から尊敬を受けることで気持ち良くなってしまうのは、高慢の罪の誘惑の門口に立つことになる。

私たちが特別扱いを受けて気持ち良くなり、罪から自らを守るためにどうするべきだろうか?

キリストの愛に立ち返り、その尊さを思い出す時、私たちは神の愛を無償に受けたことへの感謝が生まれる。私たちの真の教師、先生、父的な存在はキリストである。ある人を特別に尊敬することは素晴らしいが、偶像化しないように気をつけたい。

愛する天のお父様、あなたが私たちに与えてくださった尊敬すべき人々を感謝します。キリストこそ私たちが真に見習うお方ですから、キリストから学び続けることができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。