キリスト者としての心構え

「ただ、わたしはこの事は認めます。わたしは、彼らが異端だとしている道にしたがって、わたしたちの先祖の神に仕え、律法の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じ、 また、正しい者も正しくない者も、やがてよみがえるとの希望を、神を仰いでいだいているものです。この希望は、彼ら自身も持っているのです。 わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心を責められることのないように、常に努めています。」(‭‭使徒行伝‬ ‭24:14-16‬)

パウロは、エルサレムにおいて、大祭司アナニヤや長老数名による訴えに対して、ペリクス総督の前で弁明をした。

パウロはユダヤ教の大祭司が異端だとしている道にしたがっていると言った。つまり、ユダヤ教から見て異端だと位置付けられていた一派とはキリスト教である。それが今やイエスを救い主として受け入れる者たちが増え、聖書は常に世界でベストセラーとなるなど、全世界に多大な影響を与えてきた。

またパウロは、彼自身もイスラエルの先祖の神に仕え、律法の教えるところ、また預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じていると述べている。旧約聖書に書かれていることが成就したのはイエスキリストであり、律法主義から、本来神が意図された教えに戻ろうとしたものだと言うことで、当時のユダヤ教指導者たちからは怪しからぬことと捉えられていた。

クリスチャンとして、聖書全体から言葉と聖霊の促しによって神の御心に戻る作業を怠るならば、律法主義に陥ってしまう。

また、正しい者も正しくない者、つまり人の評価ではなく、神の目から見て義とされた者が、やがてよみがえるとの希望を神を仰いで抱いていると述べている。私としても然りである。 

パウロが、神や人に対して良心を責められることのないように常に努めていると述べたように、私たちも同じく、神や人に対して良心を責められることのないように常に努めたい。

パウロがキリストを信じ、キリストに従う者として分かち合ったことを、自分自身の心構えとしたい。

愛する天のお父様、あなたに仕え、律法や預言者の書を含む聖書全体に書かれていることごとく信じ、 やがてよみがえるとの希望をあなたを仰いで抱きます。今日もあなたの前に良心を責められることのないように歩むことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。