クリスチャンと罪

「しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった。 外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである。 その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。」(コリント人への第一の手紙 5:11-13)

クリスチャンと罪の関係についてである。クリスチャンは罪を赦されて救いを得た人たちである。だから罪の赦しを感謝し、自然と罪の生活から離れて生きて行く人たちであろう。

そうであるにもかかわらず、もし私たちが不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者であり続け、罪を犯し続けて生きてあるのなら、罪の赦しを真に理解できておらず、その素晴らしさや大切さを理解できていないと言わざるを得ない。

もし教会の中で兄弟あるいは姉妹と呼ばれる人がいて、罪を犯し続けるのであれば、本当の意味での兄弟や姉妹と言えないのではないか、とパウロはコリントの教会に訴えている。

クリスチャンとなった人は兄弟姉妹と呼び合うのだが、クリスチャンになる前とその後の大きな違いは、罪との向き合い方である。クリスチャンが罪を犯した場合、クリスチャンは悔い改め、聖霊の力を借りて罪から離れた生活をするように変えられていくことができる。

私たちは救われたことを喜んで生きることで、救いの素晴らしさを伝えること、救いの証をすることができる。主の救いを喜んで生きたい。

愛する天のお父様、あなたの救いを感謝します。あなたは私たちに永遠のいのちと、神の子どもとしてくださる特権を与えてくださいました。ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。