小さい者にも大いなる者にも

「あなたがたは、さばきをする時、人を片寄り見てはならない。小さい者にも大いなる者にも聞かなければならない。人の顔を恐れてはならない。さばきは神の事だからである。あなたがたで決めるのにむずかしい事は、わたしのところに持ってこなければならない。わたしはそれを聞くであろう』。」(申命記 1:17)

人を片寄り見るとは、偏り見るということで、偏見やえこひいきを指す言葉だろう。特にさばきをする場面、つまり裁判や審判など公平さが求められる場合、片寄った判断をしてならないということである。

「小さい者」か、「大いなる者」かで扱い方が変わってしまうのが、片寄ること、偏ることだ。経済格差や社会的地位による大小で人の扱い方を変えるなら、不公平な扱い方になってしまう。私たちが人の顔を見ると恐れが生じて、小さな者と大いなる者で扱いを変えてしまう。

神が私たちを見る時、神は私たちの心をご覧になる。私たちが神に裁かれるのは、神に対する信仰の部分だ。

モーセはイスラエルの民に「あなたがたで決めるのにむずかしい事は、わたしのところに持ってこなければならない。わたしはそれを聞くであろう」と言ったが、謙遜で、神と直接顔と顔を合わせていた人だったモーセは、いわゆる最高裁判所の判事のような役割だったのだろう。モーセがイスラエルのすべての事案に対処することは不可能だったため、他のさばき人に委ね、その時に人を片寄り見ないことの大切さを伝えた。

今日私たちが人と関わる上でも、この原則はとても重要である。数人の友だちの輪の中でトラブルが起きた時も誰かが小さき者、弱き者のことを配慮して対処する必要があるからだ。

主から知恵をいただき、あらゆる問題に対処していきたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちの心を見ておられます。どうか私たちもあなたの心を知って対処していくことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。