感情
それを開けて見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をかわいそうに思い、言った。「これはヘブル人の子どもです。」その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にヘブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳を飲ませるために。」ファラオの娘が「行って来ておくれ」と言ったので、少女は行き、その子の母を呼んで来た。ファラオの娘は母親に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。」それで彼女はその子を引き取って、乳を飲ませた。(出エジプト記 2:6-9)
私たちには感情がある。何かしらの事に触れて起こるさまざまの微妙な感情は時々理性を上書きする。
ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった時、彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くことがないように。」(出エジプト記 1:8-10)
フォラオは恐れに支配され、自分のすべての民に次のように命じた。「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」(出エジプト記 1:22)
さて、レビの家のある人がレビ人の娘を妻に迎えた。彼女は身ごもって男の子を産み、その子がかわいいのを見て、三か月間その子を隠しておいた。(出エジプト記 2:1-2) この母親は可愛い赤ちゃんを見て殺すことが出来なかった。
しかし、それ以上隠しきれなくなり、その子のためにパピルスのかごを取り、それに瀝青と樹脂を塗って、その子を中に入れ、ナイル川の岸の葦の茂みの中に置いた。
その子の姉は、その子がどうなるかと思って、離れたところに立っていた。(出エジプト記 2:3-4) 赤ちゃんの姉はとても心配していた。
すると、ファラオの娘が水浴びをしようとナイルに下りて来た。侍女たちはナイルの川辺を歩いていた。彼女は葦の茂みの中にそのかごがあるのを見つけ、召使いの女を遣わして取って来させた。それを開けて、見ると、子どもがいた。なんと、それは男の子で、泣いていた。彼女はその子をかわいそうに思い、言った。「これはヘブル人の子どもです。」(出エジプト記 2:5-6) ファラオの娘は男の子を見つけ、しかもヘブル人の子は生かしておいてはならないこと承知していたが、その子を殺すのは可哀想に思った。
その子の姉はファラオの娘に言った。「私が行って、あなた様にヘブル人の中から乳母を一人呼んで参りましょうか。あなた様に代わって、その子に乳を飲ませるために。」ファラオの娘が「行って来ておくれ」と言ったので、少女は行き、その子の母を呼んで来た。ファラオの娘は母親に言った。「この子を連れて行き、私に代わって乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。」それで彼女はその子を引き取って、乳を飲ませた。(出エジプト記 2:7-9)
この男の子がモーセである。様々感情の乱れ、情緒不安定さは危うく男の子の命を奪いそうになり、その子の命を救った。
神は私たちの感情を揺り動かして働かれる。時には私たちの生命の危機に陥れるが、時には私たちの生命を救い、神の計画が成就する。
私たちの感情にも働きかけ、ご自身の計画を実現に至らせてくださる主に、自分自身を委ねていきたい。
愛する天のお父様、あなたのご計画を感謝します。あなたに我が身を委ねます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
