石ころからでも

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。(ルカの福音書 3:8)

ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。これは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。

の通られる道をまっすぐにせよ。すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。こうして、すべての者が神の救いを見る。』」

ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしの子孫たち。だれが、迫り来る怒りを逃れるようにと教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』という考えを起こしてはいけません。言っておきますが、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子らを起こすことができるのです。」(ルカの福音書 3:3-8)

ユダヤ人たちは、アブラハムの子孫であることに誇りを持っていた。確かにアブラハムの信仰は素晴らしく、聖書にも名前が記されている。アブラハムの信仰は素晴らしいが、アブラハムは私たちと変わらない人間である。

私たちも誰々さんと知り合いである、誰々さんにお世話になった、誰々さんと会ったことをSNSに載せる。イエスが、神は石ころからでもアブラハムの子らを起こすことができると言ったように、人間そのものよりも、信仰を持った人を通して主は偉大なことをなさったことに私たちも焦点を向けたい。

私たちが自分自身の罪を悔い改め、きよめを象徴した洗礼を受け、人生が変えられ、主のご計画に身をゆだねて歩みたい。

愛する天のお父様、あなたの救いのご計画をありがとうございます。あなたの救いを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。