疑問を呈する声を見分けよう

「さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。」(創世記 3:1)

疑問提起はマンネリ化した体制を打破するのに役立つ。しかし狡猾な声には良く注意しなければならない。人を批判する声、体制に対して疑問を呈する声の動機は何であるのか?

神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。天地創造直後に、神 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記 2:15-17)

神は人に「善悪の知識の木から食べるとき必ず死ぬ」と言われたのだが、蛇は男ではなく女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」

神がはっきり命じ、警告したのにもかかわらず、蛇でたる悪魔はその命令に疑問を呈する声をぶつけて、神の命じたことに反することをさせ、罪を犯させようとした。

狡猾な声により私たちをつまずかせようとする敵の策略に私たちはどのように関わるべきなのか?

女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」

ちょっと待てよ、この女の言っていることは違う。神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせ(創世記 2:9)たのだが、「園の中央にいのちの木」からは取って食べて良かったのであり、「善悪の知識の木」から食べるとき必ず死ぬと言われたのであった。女はこの二つの木の違いについて理解していないのか、自分自身を欺いているのか、どちらかである。

すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」と偽りを言った。残念ながら、この女は偽りであるとはっきり拒むべきであった。

しかし「女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。」それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。神の命じられたことを破ってしまった。

こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回る音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。(創世記 3:1-8)

こうして蛇は呪われ、男と女はエデンの園を追い出され、罪が人間に入り、私たち人間は罪をもって生まれる存在となった。

今年も神は私たちに永遠の言葉をもって語ってくださる。私たちは神の言葉をよく吟味し、不信仰にならず、信仰をもって日々歩んでいきたい。

愛する天のお父様、あなたの言葉をありがとうございます。あなたに従って歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。