主にあって、その大能の力によって強められなさい

「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。」(エペソ人への手紙 6:10-11)

私たちは主にあって、主の大能の力によって強められ、強められ続けることが大切だ。

その理由は、悪魔が策略をもって私たちを弱め、私たちを打ちのめそうとして躍起になっているからだ。だから私たちは悪魔の策略に対して堅く立つことができるように神のすべての武具を身に着けることが大切である。

神は私たちにどのような武具を身につけることを望んでおられるのか?

パウロはこのように言った。「腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」(エペソ人への手紙 6:14-18)

帯は、衣類がはだけないように、腰のところでぎゅっとまとめる働きをするが、真理も同じで神の言葉をぎゅっとまとめる働きをする。偽って教えられたり、曲げて教えられかねないものを真理は束ねる働きをする。

胸当ては心臓を守る働きをする。心臓が止まれば死んでしまう。正義は私たちを罪という致命傷から守る。罪から離れて生きるために、正義の武具を装着する必要がある。

足に履くものは動き回るためには欠かせない。私たちは平和の福音を宣べ伝える使命をいただいた。地の果てにいる人々、つまりすべての人々に福音を宣べ伝えるように召された。そのために足を使い、地の果てに出かけていきたい。

盾は火矢を消し、また剣が襲いかかる時に私たちの体を守ってくれる。私の信仰は、悪い者が放つ攻撃から身を守ることができる。信仰はまさに私たちにとってシールドの役目をする。

兜は私たちの頭を守る。私たちの頭は私たちが救われていることを理解できるように助ける。救われていることを喜びで満たし、また確信に至らせてくれるのは私たちの思考の部分である。だから私たちは救いの兜を被り、救いを確かなもの、喜びを維持することが大切だ。

そして剣は唯一の攻撃用武器である。私たちが悪魔と戦う時に御霊の剣として相手を打ち負かすことができるのは、私たちの意見ではない。私たちの考えではなく、神のことばそのものがなければ悪魔をやっつけることはできない。だから日々のみことばの学びと暗誦聖句が役に立つ。

最後に私たちの祈りである。祈りは私たちと神とのコミュニケーションであり、神に支援を要請するのも祈りであり、また神の言葉を聞くためにも祈りが欠かせない。だから、あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈ることだ。

愛する天のお父様、あなたの力によって私を強めてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。