和解
ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。(マタイの福音書 5:23-25)
私たちを恨み、私たちを訴える状況とは、どのような状況だろうか?一つは、私たちに何かしらの落ち度がある場合である。その場合は、私たちが自分自身の問題を認識したら、仲直り、和解に務める。もし私たちに落ち度がなくて誤解されているなら、誤解を解く努力を最大限するべきである。
私たちが恨まれている場合、私たちを恨む人との関係を正そうと務め、誠意を持って接することは重要だ。主を礼拝する時にあらゆる人との関係も同じように大切だからだ。
ただ人々との関係は、主との関係を正すことより困難かもしれない。恨みや訴えが止むかどうかは相手次第という部分がある。理想は、一度対立してしまった壊れた関係が以前に増してより強固な関係になることだが、隣人を愛することは、主を愛することと同じように大切である以上、私たちは相手に対して最大限誠意を尽くして接することしかできない。
神の愛は裏切ることはないが、人の愛は不安定そのものだ。神の完全な愛を受けて、私たちの周りの人に愛を表していきたい。
愛する天のお父様、私たちをあなたの愛で満たしてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
