福音と洗礼
「キリストが私を遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を、ことばの知恵によらずに宣べ伝えるためでした。これはキリストの十字架が空しくならないようにするためです。十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」(コリント人への手紙 第一 1:17-18)
パウロの使命は、バプテスマを授けるためではなく福音を宣べ伝えるためだった。
バプテスマは自分自身の罪を悔い改め、救いを決意した人が自分の信仰を証明するために行うきよめの儀式である。「私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。」(コリント人への手紙 第一 12:13) とある。
パウロは、人々がバプテスマを授けて教会につながるような牧会の働きではなく、イエスキリストの福音を宣べ伝える伝道、またあらゆる教会を回る使徒的な働きをしていたようである。
パウロは、キリストの十字架が空しくならないようにするために、十字架のことばを宣べ伝え続けた。十字架のことばは滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力であることを知っていたからである。
キリストの十字架が人々を救い、救われた人々はその信仰を告白する手段として洗礼を受ける。
愛する天のお父様、十字架のことばは救われる私たちには神の力です。そして救いを受け入れた人たちは洗礼を受けます。どの働きも必要であり、尊い働きです。あなたがすべての人々の働きを祝福してくださいます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。
