信仰をもって

「とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行われた方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです。」(ガラテヤ3:5-6)

私たちと神との関係で、私たちにどうすることが最適、最善なのかについて、神は聖書の言葉や日常生活において語ってくれる。神の言葉に対して私たちが信仰を持って行うことで、神の力とわざが現れる。私たちの努力では到達し得ないからである。しかし私たちが律法を自分の力で実行しようとすると、それは私たちの努力となり、神の働きに委ねる信仰とは違う。

私たちの力の及ばないことを神が行ってくださるときに、それは神の奇蹟となる。神の前に正しいと認められることも、自分が必死に律法を守ることで達成できるのではなく、神を信じることで義と認められ、その後に自分が変えられ、神の喜ぶことを行うことができるようになってゆく。神にゆだねることも、私たちの内に住んでおられる御霊、聖霊が助けてくださってできるようになる。

神との関係において「信仰」が大切である。それはなんとなく信じることではなく、神がはたいてくださると積極的に信じるものである。

神を積極的に信じて、神の奇蹟を目にしたい。

愛する天のお父様、あなたにとって不可能なことはありません。あなたを信じます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。