罪赦され義と認められる
「ですから、兄弟たち、あなたがたに知っていただきたい。このイエスを通して罪の赦しが宣べ伝えられているのです。また、モーセの律法を通しては義と認められることができなかったすべてのことについて、この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。」(使徒の働き 13:38-39)
イエスキリストが私たちに宣べ伝えられたのは、罪の赦しと、義と認められることである。
私たちの罪はすべてイエスキリストの十字架による死によって私たちが信じるときに赦されるのである。罪によって罰せられることも、滅ぼされることもない。イエスを信じるなら完全に赦される。神はイエスキリストを信じる人に罪の赦しを宣言してくださる。
義と認められることは、モーセの律法にある正しいことを行う、モーセの律法が禁じることを守るということではなく、イエスを信じることである。それは神の救いを受けることだ。私たちは律法や法律に照らし合わせて人々を正しいとか悪だとか判断しようとするが、神の前にすべての人は罪を犯し、イエスキリストの十字架によるあがないを信じることで罪が赦されるという約束が聖書にある。だからそれは神が判断することであり、神のさばきは神の視点によって決められるものである。
だから義は勝ち取るものではなく、神から与えられるギフトである。私たちが目を向けるのは義ではなく、神の恵みである。
愛する天のお父様、御子イエスキリストの十字架により私たちが信じた時に罪を赦し、救いを与えてくださいました。永遠のいのちと神の子どもとされる特権を感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。