キリストの十字架が私たちを活かす
「すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。」(使徒行伝 2:38-39)
ペテロは言った。「あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。 ペテロはイエスは主なる神であり、キリスト(油注がれた者)であると証した。
すると人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。(使徒行伝 2:36-37)
イエスを主とせず、キリストとしなかったイスラエルの民はイエスを十字架につけて殺してしまった。ペテロはイスラエルの民に向かって言った。「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである。」
悔い改めるとは、方向転換を意味する。罪のゆるしを得るためにイエス・キリストの名によって、バプテスマを受けるとは、旧約聖書の「水によるきよめ」に由来するのだが、全身水に浸かることは、人生すべてにおいて罪を赦されたことを象徴している。そして聖霊の賜物を受けることで神に召されて神の働きをするようになる。
イエスキリストの十字架が私たちに与えた恵みは実に素晴らしい。イエスキリストの十字架による罪のあがない、罪の赦し、そして与えられた聖霊の賜物を用いて神と人とに仕えていきたい。
愛する天のお父様、あなたから受けた罪の赦し、聖霊の賜物を感謝します。あなたの力によって人々に仕えていくことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。