思いの中に、心に
「これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである。──主のことば──わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。彼らはもはや、それぞれ仲間に、あるいはそれぞれ兄弟に、『主を知れ』と言って教えることはない。彼らがみな、小さい者から大きい者まで、わたしを知るようになるからだ。」(へブル人への手紙 8:10-1)
主の律法とは、主が私たちに命じられたことだが、これらは、人々の思いの中に置き、彼らの心に書き記すと主は言われた。主の律法は書かれた言葉であり、読むことで内容を確認することができる。
しかし書かれた言葉は、私たちの思いの中や、私たちの心に記される。書かれた言葉を蔑ろにしてはならないが、私たちの思いや心に記されることで、私たちから離れないものとなり、私たちの言動の源、中核的信念となる。私たちが考える前に瞬時に浮かび上がるものとなるのであろう。
神は私たちの思いの中と心に神の言葉を書き込んでくださるのだから、私たちが教える以上に私たちの身につくのだろう。
神の言葉を身近に感じて歩んでいきたい。
愛する天のお父様、あなたの言葉を私たちの思いの中に、また私の心に記してくださり、ありがとうございます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。