イエス・キリストによる義の実に満たされる
「わたしはこう祈る。あなたがたの愛が、深い知識において、するどい感覚において、いよいよ増し加わり、 それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、 イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。」(ピリピ人への手紙 1:9-11)
パウロがピリピの人々のために祈った一つ目のことは、彼らの愛が深い知識とするどい感覚においていよいよ増し加わることであった。愛が増し加わるために、深い知識と鋭い感覚が与えられることである。聖書の学びを継続し、聖霊に満たされ、神を愛し、また人々を愛する者となりたい。
愛が増し加わると、私たちは何が重要であるかを判別することができるようになる。愛に基づいた行動が重要となり、愛に生きようとするであろう。
私たちが神の愛に生きることで、キリストの日に備えて、純真で責められるところのない者へと変えられてゆく。
私たちが変えられることで、私たちはイエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るようになる。義の実とは神が私たちに結ばせてくださる品性の特質なのだろう。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ人への手紙 5:22-23) イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわしていきたい。
愛する天のお父様、あなたの栄光とほまれが私の人生を通して現されますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。