悲しみは笑いにまさる
「悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。 賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。」(伝道の書 7:3-4)
笑いが悲しみにまさると言葉をよく耳にする。しかしソロモン王は悲しみは笑いにまさると言った。「悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。死はすべての人の終りだからである。生きている者は、これを心にとめる。」(伝道の書 7:2) 確かに私たちは悲しみの中で人生に向き合うことができ、喜びの素晴らしさを再発見できる。
賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。
もし悲しみの家に行ったら、楽しみの家、宴会の家に入ることが大切ではないか?なぜなら私たちには真の希望と真の喜びが与えられているからだ。自分の罪深さ、弱さ、足りなさを知れば知るほど、神から与えられる救いや贖いの素晴らしさや尊さを知る。
自分の罪深さ、弱さ、足りなさを意識せず、自分自身の気持ちを優先させて宴会や遊興ばかりに身をおくなら、神から与えられる救いや贖いの素晴らしさや尊さを知らずに、理解せずに日々を過ごしてしまう。悲しみを知っている人こそ、笑いを知ることができるのだろう。
愛する天のお父様、あなたの御子イエスの十字架により、私たちの罪を赦し、贖い、永遠の命を与えてくださったことを心から感謝します。あなたの内に希望と喜びがあります。主イエスキリストの御名によって、アーメン。