懲らしめのムチ
「愚かさは子どもの心に絡み付いている。懲らしめのむちがこれを子どもから遠ざける。」(箴言 22:15)
愚かさは、私たちが神から離れ、自己中心性を表す状態であろう。神の言葉に耳を傾けないと、私たちは愚かなことをしてしまう。
子ども、つまり私たちは生まれてから知恵が備わっている訳ではない。神の言葉に触れなければ、知恵は得られない。
知恵を得るためには、懲らしめのむちが必要である。懲らしめの鞭と聞くと、怖い親や教師、あるいは権威者が振りかざす身体的に傷めつける道具を想像するだろう。しかし懲らしめのむちとは、私たちを指導し、鍛錬する権威を指し、これが私たちを愚かさから引き離す。
神が権威もって私たちを指導し訓練される時、必ずしも身体的な傷みを伴うものではなく、精神的、情緒的あるいは霊的なチャレンジも含まれるだろう。これらの厳しさや訓練は私たちが神の知恵によって歩むように助けるものとなる。
私にとっては毎日のデボーション、家族を愛すること、社会的な責任を果たすこと、体調管理、祈り、献金などがキリストの弟子となるための良い訓練となっている。
愛する天のお父様、あなたは私たちを罰するために懲らしめの鞭を使うだけではなく、私たちが成長するために私たちを訓練してくださいます。あなたの子どもとなり、私たちがあなたに似た者と変えられて行きますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。