幸甚
「幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず 嘲る者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。」(詩篇 1:1-3)
私たちの周りには良い人たちばかりではない。悪しき謀を企てたり、実行したりする人もいる。彼らの悪を拒んで歩まず、彼らの悪き道に立たないことは、私たちにとって人生をかけた戦いとなるかもしれない。悪き道とは必ずしも犯罪行為、社会倫理的に反する行為だけではなく、神に背くことにその根源がある。
周りのプレッシャーに負けて、一緒になって馬鹿にしたり、嘲ったり、虐めたり、意地悪をすることで自分自身を守ることができ、またその方が楽であろう。嘲る者たちの中で自分だけその座に着かないことにはかなりの勇気がいる。
また、主の教えを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむとは、私にとっては毎日のデボーションである。毎日聖書を4章ほど読み、ジャーナルノートに神の教えを書き留める。朝やれば一日中自分の思いを主の教えに向けることができ、夜やれば、一晩中でも思いを向けることができる。
主の教えを喜び、その教えを実行する者は、流れのほとりに植えられた木のようである。時が来ると実を結び、その葉は枯れず 、そのなすことはすべて栄える。
幸いな人とは悪から離れ、主なる神を喜ぶ人である。
愛する天のお父様、悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に着かず、主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ人となりますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。