身を清める
「立って、民を清めて言いなさい、『あなたがたは身を清めて、あすのために備えなさい。イスラエルの神、主はこう仰せられる、「イスラエルよ、あなたがたのうちに、滅ぼされるべきものがある。その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから除き去るまでは、敵に当ることはできないであろう」。」(ヨシュア記 7:13)
身を清めるとは、滅ぼされるべきものを除き去ることである。具体的に言うなら罪の問題を解決することである。今日罪の問題はイエス・キリストの十字架の贖いによらねば解決できない。神の前で罪の問題を解決することなしに、神に近づくことはできないからである。
かつてのイスラエルでは、アカンという人物が奉納物をささげることなく、自分のものとして、奉納物について罪を犯した。それで主はイスラエルの人々にむかって怒りを発せられた。 主なる神は罪に対して怒る方である。
ヨシュアはエリコから人々をつかわし、ベテルの東、ベテアベンの近くにあるアイに行かせようとして、その人々に言った、「上って行って、かの地を探ってきなさい」。人々は上って行って、アイを探ったが、 ヨシュアのもとに帰ってきて言った、「民をことごとく行かせるには及びません。ただ二、三千人を上らせて、アイを撃たせなさい。彼らは少ないのですから、民をことごとくあそこへやってほねおりをさせるには及びません」。 そこで民のうち、おおよそ三千人がそこに上ったが、ついにアイの人々の前から逃げ出した。 アイの人々は彼らのうち、おおよそ三十六人を殺し、更に彼らを門の前からシバリムまで追って、下り坂で彼らを殺したので、民の心は消えて水のようになった。
そのためヨシュアは衣服を裂き、イスラエルの長老たちと共に、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、ちりをかぶった。 ヨシュアは言った、「ああ、主なる神よ、あなたはなにゆえ、この民にヨルダンを渡らせ、われわれをアモリびとの手に渡して滅ぼさせられるのですか。」。
主はヨシュアに言われた、「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。 イスラエルは罪を犯し、わたしが彼らに命じておいた契約を破った。彼らは奉納物を取り、盗み、かつ偽って、それを自分の所有物のうちに入れた。…それゆえ、あすの朝、あなたがたは部族ごとに進み出なければならない。そしてその滅ぼされるべきものを持っていて、くじを当てられた者は、その持ち物全部と共に、火で焼かれなければならない。主の契約を破りイスラエルのうちに愚かなことを行ったからである』」。
こうしてヨシュアは朝早く起き、イスラエルを部族ごとに進み出させたところ、アカンがくじに当った。その時ヨシュアはアカンに言った、「わが子よ、イスラエルの神、主に栄光を帰し、また主をさんびし、あなたのしたことを今わたしに告げなさい。わたしに隠してはならない」。 ヨシュアは使者たちをつかわした。使者たちが天幕に走っていって見ると、それは彼の天幕に隠してあって、銀もその下にあった。 彼らはそれを天幕の中から取り出して、ヨシュアとイスラエルのすべての人々の所に携えてきたので、それを主の前に置いた。 ヨシュアはすべてのイスラエルびとと共に、ゼラの子アカンを捕え、かの銀と外套と金の延べ棒、および彼のむすこ、娘、牛、ろば、羊、天幕など、彼の持ち物をことごとく取って、アコルの谷へ引いていった。 そしてヨシュアは言った、「なぜあなたはわれわれを悩ましたのか。主は、きょう、あなたを悩まされるであろう」。やがてすべてのイスラエルびとは石で彼を撃ち殺し、また彼の家族をも石で撃ち殺し、火をもって焼いた。(ヨシュア記 7:1-25)
この話から私たちが学ぶことができるのは、神のものを盗むことの厳粛さであり、罪の結果の深刻さである。しかし私たちの主はイエス・キリストによって、私たちのすべての罪を背負って身代わりとなって十字架の上で死に、罪を贖ってくださり、このことを信じる者を救うようにしてくださった。罪の深刻さと罪の赦しの大きさを知るならば、私たちには感謝の心が与えられる。主の罪の赦しに感謝して歩みたい。
愛する天のお父様、御子イエス・キリストの十字架によって私たちの罪をきよめ、私たちの罪の赦してくださいました。ありがとうございます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。