大いなるみわざと信仰
「イスラエルはまた、主がエジプトびとに行われた大いなるみわざを見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセとを信じた。」(出エジプト記 14:31)
430年間にわたるエジプトでの生活の大半は奴隷としての苦しい生活だった。エジプトを出た時、イスラエルの人々は意気揚々としていた。
しかしエジプトびとは彼らのあとを追い、パロのすべての馬と戦車およびその騎兵と軍勢とは、バアルゼポンの前にあるピハヒロテのあたりで、海のかたわらに宿営している彼らに追いついた。 このとき、イスラエルの部隊の前に行く神の使は移って彼らのうしろに行った。雲の柱も彼らの前から移って彼らのうしろに立ち、 エジプトびとの部隊とイスラエルびとの部隊との間にきたので、そこに雲とやみがあり夜もすがら、かれとこれと近づくことなく、夜がすぎた。
神の守りによりイスラエルの民は紅海を渡ることができたのである。
モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。 イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。 エジプトびとは追ってきて、パロのすべての馬と戦車と騎兵とは、彼らのあとについて海の中にはいった。 暁の更に、主は火と雲の柱のうちからエジプトびとの軍勢を見おろして、エジプトびとの軍勢を乱し、 その戦車の輪をきしらせて、進むのに重くされたので、エジプトびとは言った、「われわれはイスラエルを離れて逃げよう。主が彼らのためにエジプトびとと戦う」。
そのとき主はモーセに言われた、「あなたの手を海の上にさし伸べて、水をエジプトびとと、その戦車と騎兵との上に流れ返らせなさい」。 モーセが手を海の上にさし伸べると、夜明けになって海はいつもの流れに返り、エジプトびとはこれにむかって逃げたが、主はエジプトびとを海の中に投げ込まれた。 水は流れ返り、イスラエルのあとを追って海にはいった戦車と騎兵およびパロのすべての軍勢をおおい、ひとりも残らなかった。 しかし、イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。」(出エジプト記 14:8-9, 19-29)
イスラエルの民が主がエジプトびとに行われた大いなるみわざを見たとき、民は主を恐れ、主とそのしもべモーセとを信じた。このような奇跡のわざを体験するなら、誰でも主なる神を信じるのだろう。神の奇跡は神の恵みと言うことができる。
神の奇跡を体験しなくても神を信じることは可能だろうか?
私たちが先ず初めに神を信じる時、神の奇跡を目にすることができる。神の奇跡が最初で信仰の後からくるのも素晴らしいが、神への信仰が先で神の奇跡が後から来るのは、さらに素晴らしい。なぜなら、私たちの信仰が働くからで、私たちの人生は信仰によって進み、信仰によって建て上げられてゆくからだ。
信仰によって歩む者であるのだから、信仰を働かせて、神の奇跡を見て感謝して歩みたい。
愛する天のお父様、あなたは奇跡の神であり、私たちの信仰を喜ばれるお方です。信仰によって歩む者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。