妬むほどの祝福
「イサクはその地に種をまいて、その年に百倍の収穫を得た。このように主が彼を祝福されたので、 彼は富み、またますます栄えて非常に裕福になり、 羊の群れ、牛の群れ及び多くのしもべを持つようになったので、ペリシテびとは彼をねたんだ。 またペリシテびとは彼の父アブラハムの時に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸をふさぎ、土で埋めた。 アビメレクはイサクに言った、「あなたはわれわれよりも、はるかに強くなられたから、われわれの所を去ってください」。」(創世記 26:12-16)
主が私たちを祝福してくださるのは、主の一方的な恩寵かもしれないし、あるいは私たちが主を信頼したことへの報いからだろう。祝福は物質的に考えるとわかりやすい。地に種をまいあら、その年に百倍の収穫を得たとか、羊の群れ、牛の群れ及び多くのしもべを持つとかである。
物質的な豊かさは妬みを買うことがある。邪魔されたり、除け者にされたりすることもあろう。イサクはゲラルからベエルシェバへと、住むところを変えていった。
主からの祝福は様々な形で与えられる。他人には見えにくいところ、他人が価値をおかないようなことにも主は祝福は与えてくださる。それは健康、家族、平和な暮らしなどかもしれない。
どのように祝福してくださるかは主ご自身が決めること。主に愛されているだけで私たちは主から十分な祝福を受け取っている。このことを主に感謝したい。
愛する天のお父様、あなたの祝福を感謝します。あなたに信頼して歩みます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。