慎重に

「軽々しく人に手をおいてはならない。また、ほかの人の罪に加わってはいけない。自分をきよく守りなさい。」(テモテへの第一の手紙 5:22)

私たちが慎重でいることは大切なことだ。「君子危に近寄らず」という古代中国の言葉があるが、古代中東では使徒パウロが「軽々しく人に手をおいてはならない、また、ほかの人の罪に加わってはいけない」と言った。

人々は私たちに自分で見たり感じたりした様々なことを言う。自分のかけた眼鏡がフィルターになっている。そのフィルターは自らの認知によるものであるため、必ずしも事実と同じであったり、正確性や客観性があるわけではない。

人に手をおくとは、按手と言われるもので、その働きの主導的な役割を担う複数のグループで審査を受けて合格した者に主導者的な責任に任命することを指す。重要な働きに携われる場合は、社会的な承認を受け、信頼されることが大切だ。

だから私たちは軽々しく人々を責任ある地位に任ずるのではなく、神によく祈って、その人が真に神から選ばれ、また立てられた人物かどうかを見極めなければならない。

また自ら他人のトラブルに首を突っ込み、巻き込まれるような状況は避けなければならない。箴言にこのような言葉がある。「わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、それに応じてはならない。わが子よ、彼らと一緒に道を歩いてはならない。彼らの通り道に、足を踏み入れてはならない。(箴言 1:10,15)

私たちは他人のトラブルについては、話を聞き、一緒に祈っても、足を踏み入れてはならず、自ら問題解決の道を探らなくてはならない。

愛する天のお父様、私たちが自らをきよく守り、軽率に行動せず、知恵を持って行動することができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。