神のみこころは清くなること
「神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、 各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、 神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、 また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない。前にもあなたがたにきびしく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて、報いをなさるからである。」(テサロニケ人への第一の手紙 4:3-6)
神のみこころは私たちが清くなることである。清くなるということは、具体的に言うならば、不品行を慎み、各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにしないことである。
不品行とは、不貞や淫乱や好色などの性の乱れであり、それらを慎むことが清くなることだと言っている。情欲のままに行動するならば、ブレーキが利かない状況であり、不品行は蔓延るままになる。
自分のからだを清く尊く保つのは、ただ肉的関係を持たないことだけではなく、不品行の思いに支配されるままにせず、目から入る性的な誘惑に対して目を向けないことも、大切なことである。
このようなことで兄弟を踏みつけるとは、主に従う人々のことを考えずに、縦に振る舞うことだ。私たちが周囲に配慮することは大切だが、それ以上に自分の思考を訓練して性的な乱れを抑え、その結果として人々に影響を与えることになる。もし私たちが陰でコソコソと不品行に関わっているのなら、それは周囲の人々をだますことになる。
パウロは前にもテサロニケの教会にきびしく警告しておいたと言っている。それは、主はこれらすべてのことについて報いをなさるからである。主の御心は私たちが清くなることであるのだから、性的な清さを求めて歩んでいこうではないか。
愛する天のお父様、あなたの御心を行うものとしてください。私たちの行動だけではなく、まず思考が清くなることができますように。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。