神に栄光を帰する

「定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座にすわり、彼らにむかって演説をした。 集まった人々は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけた。 するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。」(使徒行伝 12:21-23)

神に栄光を帰することは大切である。なぜなら、栄光は神のものであり、私たちのものではないからだ。

ある人が出品した作品が著名な専門家の目に止まり取り上げられたり、権威のある賞を受賞したりしたことで、一躍有名人になったりすると箔が付くようなもので、ヘロデ王も王服をまとって王座にすわり、人々にむかって演説をした。王服を着用し、王座に着くことで、王としての箔がついた。

集まった人々は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫び続けた。ヘロデ王が神の栄光を帰しなかったとあるから、良い気持ちになって、自分自身を高めてしまったのだろう。

神に栄光を帰せず、手柄や栄光を自分自身のものにしてしまうのは恐ろしいことである。集まった人々が、「これは神の声だ、人間の声ではない」とヘロデ王に向かって叫びつづけるとたちまち、主の使が彼を打った。ヘロデ王は虫にかまれて、息が絶えてしまった。

もし栄光が私たちのところに来たら、その栄光は主に帰さなければならない。一旦私たちのところに来たて直ぐに主に帰するのである。自分の心を栄光に向けると気持ち良くなり、いつまでも余韻に浸りたくなる。

普段から周りの人たちとお互いに励まし合い、また主の言葉によって愛されていることを確かめることは大切だ。

私たちが主の前に自分を低くするなら、主が私たちを高めてくださる。

愛する天のお父様、あなたにすべての栄光を帰します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。