主のおしえを喜びとする人

「幸いなことよ。悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなすことはすべて栄える。」(詩篇 1:1,2,3)

幸いなこととは何か?幸いなこととは、悪しき者のはかりごとに歩まないこと。そして罪人の道に立たず嘲る者の座に着かないことである。

悪しき者が私たちの周りにいるとしても、究極的には空中の権威者と呼ばれるサタンこそ、私たちの敵である。悪しき者は私たちの職場や学校、地域社会や教会にもいるかもしれないし、私たちが日常的に触れるメディア媒体にも潜んでいるかもしれない。どこにいても私たちは悪しき者の働きを見極めることが大切だ。

悪しき者は、主イエスキリストを信じ、従う人々を嘲るため、私たちが断固とした立場を取らないかぎり、私たちは彼らの謀に呑み込まれてしまう。

悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず嘲る者の座に着かないためには、主の教えを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむことである。私たちを嘲り、惑わし、貶める働きから自分自身を守るためには、神の言葉、主の教えを大切にし、昼夜口ずさむことである。

そうすれば、私たちは流れのほとりに植えられた木のように、時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなすことはすべて栄えるようになる。

主は私たちをもう既に祝福してくださった。また世の終わりにも私たちを祝福の内に天の御国に入れくださり、神の愛あふれる永遠の住まいに住む。

だから今私たちは悪しき者を退け、神に従い、他の者たちが救われるように救いの良い知らせを伝え続けるのだ。

愛する天のお父様、あなたの愛と祝福をありがとうございます。あなたを愛し、あなたに従います。主イエスキリストの御名によって、アーメン。