タイトル:神様は、心を完全に神様にコミットする者をいつも支えてくださる

タイトル:神様は、心を完全に神様にコミットする者をいつも支えてくださる

聖句:

“キュロス王の第一年にキュロス王は命令を下した。エルサレムにある神の宮、いけにえが献げられる宮を建て、その礎を定めよ。宮の高さは六十キュビト、その幅も六十キュビト。 大きな石の層は三段。木材の層は一段とする。その費用は王家から支払われる。 また、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンに運んで来た神の宮の金や銀の器は返し、エルサレムの神殿に運んで元の場所に戻す。こうして、それらを神の宮に納める。」 王は次のように命じた。「それゆえ、今、ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちでユーフラテス川西方の地にいる知事たちよ。そこから遠ざかれ。 この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちに、この神の宮を元の場所に建てさせよ。 私は、さらに、この神の宮を建てるために、あなたがたがこれらユダヤ人の長老たちにどうすべきか、命令を下す。王の収益としてのユーフラテス川西方の地の貢ぎ物の中から、その費用を間違いなくそれらの者たちに支払って、滞らぬようにせよ。 また、その必要とする物、すなわち、天の神に献げる全焼のささげ物のための雄牛、雄羊、子羊、また小麦、塩、ぶどう酒、油を、エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく彼らに与えよ。 こうして彼らが天の神に芳ばしい香りを献げ、王と王子たちの長寿を祈るようにせよ。 私は命令を下す。だれであれ、この法令を犯す者があれば、その家から梁を引き抜き、その者をその上にはりつけにしなければならない。このことのゆえに、その家はごみの山としなければならない。 エルサレムに御名を住まわせられた神が、この命令を変更してエルサレムにあるこの神の宮を破壊しようと手を下す王や民をみな、投げ倒されますように。私ダレイオスはここに命令を下す。間違いなくこれを守れ。」” エズラ記 6章3~12節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

観察:

預言者たちは、イスラエルの子らに、神の宮を建て直すことを預言していました。ゼルバベルとヨシュアは神の家を再建することになり、預言者たちが彼らを支えました。しかしながら、彼らは、タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちとがこのような質問をゼルバベルとヨシュアに投げかけました。「この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。」そしてまた、「この建物を建てている者たちの名は何というのか」と尋ねました。しかし、ユダヤ人の長老たちの上には彼らの神の目が注がれていたので、このことがダレイオスに報告されて、さらにこのことについての返事の手紙が来るまで、彼らの工事を中止させることができませんでした。これは、私たちが神様のために成し遂げようとするあらゆる努力にとって極めて重要なポイントです。障害がなんであれ、私はこのとても大切な真理を学んできました。神様が私たちに何かをするように呼ばれたとき、神様は、それが成し遂げられるように、そして、神様の意図を確かなものとするよう、目配せをしてくださっています。タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちは「この宮を建て、この城壁を修復せよとの命令をだれがあなたがたに下したのか。」と尋ね、そして、このプロジェクトに関与する人たちの名前を王に報告するために教えるようにと伝えます。

誰が、神様が私たちにするようにと言われたことをしてもいいと命じたのですか? 答えは簡単でした。神様です。エズラは、こう記しています。「しかし、ユダヤ人の長老たちの上には彼らの神の目が注がれていたので、彼らの工事を中止させることができなかった。」この聖句は、次の聖書の一節を思い起こさせてくれます。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」 主の目は私たちの努力を見てくださっています。そして、その心が神様にしっかりとコミットしている人たちを強めてくださいます。この一節がそのことを証明してくれています。ダレイオス王から返事が来ます。「エルサレムにある神の宮、いけにえが献げられる宮を建て、その礎を定めよ。」さらに、このプロジェクトの費用は、王家から支払われることになりました。ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち出して、バビロンに運んで来た神の宮の金や銀の器は返し、エルサレムの神殿に運んで元の場所に戻されたのです。

「ユーフラテス川西方の総督タテナイと、シェタル・ボゼナイと、その同僚たちでユーフラテス川西方の地にいる知事たちよ。そこから遠ざかれ。 この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちに、この神の宮を元の場所に建てさせよ。 私は、さらに、この神の宮を建てるために、あなたがたがこれらユダヤ人の長老たちにどうすべきか、命令を下す。王の収益としてのユーフラテス川西方の地の貢ぎ物の中から、その費用を間違いなくそれらの者たちに支払って、滞らぬようにせよ。 また、その必要とする物を、エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく彼らに与えよ。 だれであれ、この法令を犯す者があれば、その家から梁を引き抜き、その者をその上にはりつけにしなければならない。」神様が私たちに何かをするように言われるとき、神様はすでにそれに対してのご計画を持っておられ、神様のやり方でそれを成し遂げられます。このことは驚くべきことです。神様の目はこの地の隅々までをめぐり渡し、心が神様にしっかりとコミットしている人たちを探されています。それは、神様が、そのような人たちを強め支えるためです。神様が私たちに何かをするように呼ばわれるとき、私たちは、自分の力でそれをしようとしていないか確認しなければなりません。神様がされようとすることは、私たちが、神様を信頼し、神様のことを認めることで、神様のやり方で成し遂げられるのが常だからです。

適用:

私は今日、神様のご計画は私の計画よりもはるかに高いことを学びました。私が神様を信頼し、神様に従おうと心を定めるとき、神様は私の人生においてみことばを実現することにコミットしてくださるっているということを学びました。私はこれからも、自分の計画をすべて神様に信頼し、ゆだね、神様が私に望んでおられることを成就させるよう、神様の導きに任せたいと思います。この箇所から得たもうひとつの大きな収穫は、神様が臨在の確証なしに私に何かをするよう召されることは決してないということです。神様の目が宮の再建というプロジェクトとその人々に注がれていたように、私が神様に仕えようと歩み出たときも、神様の目は私と共にありました。主はいつも私とともにいてくださいます。

祈り:

天の父なる神様、あなたが私をミニストリーに召された時、あなたの臨在に励まされたことを感謝します。 毎日、あなたの臨在が約束されていることを感謝します。 あなたの目が、あなたの民と、あなたに仕えるために召された人々をいつも見守っていてくださることに感謝します。 あなたの臨在が決して私から離れないように祈ります。 あなたの栄光のために、あなたが私に計画されたすべての働きにおいて、私を導き続けてくださいますように。 主よ、愛します。アーメン!