求める者には与えよ

「しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。 のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。 あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。 あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。 人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。」(ルカによる福音書‬ ‭6‬:‭27‬-‭31‬)

私たちの敵とは、私たちが好意的である前提条件の上に私たちに敵対してくる人たちであり、私たちに落ち度がない場合である。私たちが愛を表しても、私たちの揚げ足を取り、私たちに対して意地悪し、私たちを呪い、私たちを辱めようとする者たちである。

そういう人たちは、傲慢で、暴力的であり、私たちが持つ祝福を羨望し、私たちを排除し、搾取し、踏み出しにし、出汁にして栄誉を得ようとする人たちかもしれない。

こういう人たちに対して、イエスは彼らを愛し、親切にせよと言われた。当然状況によっては護身のため戦う必要もあるかもしれない。その前に私たちは彼らを祝福し、彼らのために祈ることができる。彼らが奪い取ろうとする時、それを拒むなと言われた。もちろん良い気持ちはしない。しかし私たちに求める者には与えてやり、私たちの持ち物を奪う者からは取りもどそうとする必要はないのである。もしかしたら彼らには私たちの理解できない事情があるのかもしれない。そこまで考えることができたら素晴らしいのではないか。

私たちは人々にして欲しいと望むことを、彼らにもそのとおりにすることが人間関係の鉄則だ。人から祝福を期待したり、人が変わるのを期待するのではない。

彼らを退け、排除し、彼らから離れることも一つの手段だが、それが許されない場合もあるからこそ、私たちは少なくとも人を愛し親切にし、祝福し祈ることはできる。主イエスはその必要な力を私たちに与えてくださる。

愛する天のお父様、あなたの愛と憐れみ、あなたの祝福と、とりなす祈りをありがとうございます。私たちも人を愛し、親切にし、祝福し、祈ることができますように。求める者には与え、私たちの持ち物を奪う者からは取りもどそうとせず、寛大な心を持つことができますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。