聖霊と火によるバプテスマ

「民衆は救主を待ち望んでいたので、みな心の中でヨハネのことを、もしかしたらこの人がそれではなかろうかと考えていた。 そこでヨハネはみんなの者にむかって言った、「わたしは水でおまえたちにバプテスマを授けるが、わたしよりも力のあるかたが、おいでになる。わたしには、そのくつのひもを解く値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。」(ルカによる福音書 3:15-16)

ヨルダン川の水でバプテスマを授けていたヨハネは、自分よりも力のある方が聖霊と火によってバプテスマをお授けになると言った。

水によるバプテスマは、清めを象徴する水による洗いを表した礼典である。水そのものが人々の罪を洗い流すわけではないのだ。

ヨハネより優れた方とはイエスキリストであるが、イエスキリストは、聖霊によって私たちを覆ってくださる(バプテスマ)。火は水と同様に私たちを清める働きがある。火は金属を精錬する中で不純物を除去するからだ。聖霊の働きによって私たちは清められてゆく。また火は終末のさばきにおいても登場するが、主イエスは最終的に私たちをさばくお方でもある。

私たちが歩む中で欠かすことができないのが聖霊の働きである。私たちは御霊の実を結び、また御霊の賜物を用いて主に仕えるからである。

聖霊に覆われ、聖霊に満たされ、聖霊の実を結び、聖霊の賜物によって生きていきたい。

愛する天のお父様、今日も私たちに、あなたの力とあなたの知恵をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。