朝ごとに新しい

「主のいつくしみは絶えることがなく、 そのあわれみは尽きることがない。 これは朝ごとに新しく、 あなたの真実は大きい。 わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、 それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。」

(哀歌 3:22-24)

朝ごとに新しいのは日付だけではない。主のいつくしみ、主のあわれみは朝ごとに新しいという。つまり、主は常に私たちに慈しみと憐れみを注いでくださっている。

私たちは憐れみ無しに生きていくことはできない。それは私たちには罪の問題があるからだ。私たちの罪の問題は主の赦しが必要である。主の赦しは、主の憐れみがあってこそ、与えられる。

罪赦された私たちは義と認められる。義と認められて私たちは救われ、天の御国に入ることができる。死後も含めて私たちは神と永遠の場所、永遠の関係の中に入れられる。これぞ神からの最高のプレゼントだ。

主のいつくしみは絶えることがなく、主のあわれみは尽きることがない。主の慈しみと憐れみは朝ごとに新しく、主の真実は大きい。

だから私たちは、「主はわたしの受くべき分である、 それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と告白することができるのだ。

主は私たちの受くべき分である。だから主を待ち望もう。

愛する天のお父様、あなたの恵みと憐れみを感謝します。今朝も私たちに慈しみを注いでください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。