主が私たちの霊を感動される時
「ペルシャ王クロスの元年に当り、主はエレミヤの口によって伝えた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの霊を感動されたので、王はあまねく国中にふれ示し、またそれを書き示して言った、 「ペルシャの王クロスはこう言う、『天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆、その神、主の助けを得て上って行きなさい』」。」(歴代誌下 36:22-23)
主がペルシャ王クロスの霊を感動され、王はイスラエルの民に向かって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てるために上って行けと言われた。
イスラエルの民がバビロンの捕囚から解放されてエルサレムに戻ることができたのは、主がペルシャ王クロスの霊に働かれたからである。クロスは必ずしも主なる神を礼拝する者ではなかったかもしれない。
神を信じようが信じまいが、主が私たちの霊を感動させられる時、私たちが主の命じられたことを行うようになる。主が命じられるのは、決して身勝手な要求ではない。私たちを愛しておられる方が命じられることは、私たちにとって最善のことである。
主なる神は人々の霊、また私たちの霊を感動させられる。また、奮い立たせてくださる。主なる神のご計画に私たちの人生を委ねて歩んでいきたい。
愛する天のお父様、あなたが御心が実現しますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。