神の視点

「それゆえ、見よ、わたしはわが手をあなたに向けて伸べ、あなたを、もろもろの国民に渡して略奪にあわせ、あなたを、もろもろの民の中から断ち、諸国の中から滅ぼし絶やす。そしてあなたは、わたしが主であることを知るようになる。」(エゼキエル書 25:7)

主の言葉がエゼキエルに臨んだ。

 「人の子よ、あなたの顔をアンモンの人々に向け、これに向かって預言し、 アンモンの人々に言え。主なる神の言葉を聞け。主なる神はこう言われる、あなたはわが聖所の汚された時、またイスラエルの地の荒された時、またユダの家が捕え移された時、ああ、それはよい気味であると言った。 それゆえ、わたしはあなたを、東の人々に渡して彼らの所有とする。彼らはあなたのうちに陣営を設け、あなたのうちに住居を造り、あなたのくだものを食べ、あなたの乳を飲む。 わたしはラバを、らくだを飼う所とし、アンモンびとの町々を、羊の伏す所とする。そしてあなたがたは、わたしが主であることを知るようになる。 主なる神はこう言われる、あなたはイスラエルの地に向かって手をうち、足を踏み、心に悪意を満たして喜んだ。 それゆえ、見よ、わたしはわが手をあなたに向けて伸べ、あなたを、もろもろの国民に渡して略奪にあわせ、あなたを、もろもろの民の中から断ち、諸国の中から滅ぼし絶やす。そしてあなたは、わたしが主であることを知るようになる。」(エゼキエル書 25:1-7)

アンモン人は、イスラエルの地の荒された時、またユダの家が捕え移された時、「ああ、それはよい気味である」と言った。 彼らはイスラエルやユダが苦しんでいた時に嘲ったのである。

神の民はさながら、人々が苦しんでいる姿を見て喜ぶのは神ご自身が喜ばれないことだ。単なる道徳感とか人道的だとか宗教的な見地から人々を見るのではなく、神がどのように言っているかという視点を持つことが大切である。

神はイスラエルを愛し、神の民を愛し、すべての人を愛しておられる。だから私たちもイスラエルを愛し、また神の民を愛し、すべての人を愛するのだ。神が神の民を特別祝福されているように、私たちも神の民を特別祝福するという神の視点を大切にしていきたい。

愛する天のお父様、あなたの視点を見失うことなく、愛と祝福を与える者としてください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。