置かれた場所で
「「万軍の主、イスラエルの神は、すべて捕え移された者、すなわち、わたしがエルサレムから、バビロンに捕え移させた者に、こう言う、 あなたがたは家を建てて、それに住み、畑を作ってその産物を食べよ。 妻をめとって、むすこ娘を産み、また、そのむすこに嫁をめとり、娘をとつがせて、むすこ娘を産むようにせよ。その所であなたがたの数を増し、減ってはならない。 わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るがよい。その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである。」(エレミヤ書 29:4-7)
まだバビロンにいたイスラエルの民に主は言われた。
「主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。」(エレミヤ書 29:10)
70年後にはエルサレムに帰ると約束された神は、イスラエルの民、バビロンに捕え移させた者に「 家を建てて、それに住み、畑を作ってその産物を食べよ。」と言われた。これはイスラエルの民が限られた期間ではあるが、その地に定着することを意味している。寄留者であるが、定住者のようにして生きるように言われた。
妻をめとって、むすこ娘を産み、また、そのむすこに嫁をめとり、娘をとつがせて、むすこ娘を産むようにするのは、二世代、あるいは三世代に増えることを指している。「その所であなたがたの数を増し、減ってはならない。」と数に言及しているのは、祝福を象徴する、わかりやすい言葉である。
そしてバビロンでの70年の捕囚期間において、主が彼らを捕え移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るように言われたのは、民との関係および神との関係を大切にするということだ。
主が置かれた場所において私たちがどのように生きるかは大切だ。一時的に別の場所に置かれるのかもしれないが、不平不満を言いたくなる状況で、主を信頼し続けられるように祈りたい。
愛する天のお父様、今置かれている場所で、あなたを信頼し続けられますように。主イエスキリストの御名によって、アーメン。