命のパン

「イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。」(ヨハネによる福音書 6:35)

そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。 神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。 

イスラエルの民は天からくださってくるパンによって荒野の旅を続けることができた。

イエスは言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。 しかし、あなたがたに言ったが、あなたがたはわたしを見たのに信じようとはしない。 父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。 わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである。 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。 

イエスはご自身のことを「いのちのパン」だと言われたが、イエスを信じようとする者たちは少なかった。イエスのもとに来る者たちが、決して飢えることがなく、イエスを信じる者は決してかわくことがないとは、イエスが永遠のいのちを与えることを意味していた。

イエスは自分のことを「天からくださった者」と言われたのは、イエスは天からくださってきたパンのようにいのちを与える存在を意味していた。

イエスは天の神のことを父と呼んだ。イエスが「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」と言われた。

ユダヤ人らは、イエスが「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたが腑に落ちなかった。だから、イエスについてつぶやき始めて言った、「これはヨセフの子イエスではないか。わたしたちはその父母を知っているではないか。わたしは天から下ってきたと、どうして今いうのか」。 

イエスは彼らに答えて言われた、「互につぶやいてはいけない。 わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終りの日によみがえらせるであろう。」

(ヨハネによる福音書 6:32-44)

父なる神が私たちをイエスのもとに引き寄せてくださる。イエスをいのちのパンを見ることができるようになるのも、父なる神の働きである。イエスを信じるなら、私たちは永遠の命を得、終わりの日によみがえることができる。私たちの主から永遠の命を得たい。

愛する天のお父様、いのちのパンであるイエス様の元へ私たちを引き寄せてくださり、ありがとうございます。あなたを信じ、感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。