罪は赦された
「わたしが、それらの日の後、 彼らに対して立てようとする契約はこれであると、 主が言われる。 わたしの律法を彼らの心に与え、 彼らの思いのうちに書きつけよう」 と言い、 さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。 これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。」(ヘブル人への手紙 10:16-18)
私たちの罪すべては、イエスキリストの十字架のあがないを信じることで赦された。神が「わたしの律法を彼らの心に与え、 彼らの思いのうちに書きつけよう」と言われ、私たちが心と思いの内にイエスキリストが私たちののために十字架につけられたことを信じるなら、神は私たちの罪をもう思い出すことはしないと言われた。
私たちの罪に対するゆるしがある以上、かつてのように、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。もうすでに私たちの罪はすべて赦された。イエスが私たちの身代わりとなって十字架の上で罰を受けてくださったからである。だから、罪の赦しのために何かをしなければいけないということはない。
私たちの心と思いに書き記された神の心を大事にしていきたい。これが神を愛するということではなかろうか?
愛する天のお父様、あなたの大きな犠牲の中に、私たちへの大きな愛を表してくださり、私たちの罪を赦してくださり、ありがとうございます。私たちの心と思いに記してくださったことを大切にします。主イエスキリストの御名によって、アーメン。