神の選び
「わが名を置くために、ただエルサレムだけを選び、またわが民イスラエルを治めさせるために、ただダビデだけを選んだ』。」(歴代誌下 6:6)
神はご自身の名を置くためにエルサレムを選ばれた。主が選ばれたのは、エリコではなく、ヨッパでもなく、ツロでも無かった。主は小高い丘に立つ都、エルサレムをご自身の名を置くために選ばれた。
そして主がイスラエルを治めさせるために選んだのは、ダビデだった。ダビデの兄たちではなく、また別の優秀な人たちではなかった。
私たちは人間的な物差しで、あらゆることを測ろうとする。私たちは自分たちの評価基準で、あらゆるものに優劣をつける。神の選びは私たちの基準とは違う。
ダビデが油注がれたのは優秀だったからではない。ダビデが選ばれたのは、心が素晴らしかったからである。
「…サムエルはエリアブを見て、「自分の前にいるこの人こそ、主が油をそそがれる人だ」と思った。 しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。 そこで人をやって彼をつれてきた。彼は血色のよい、目のきれいな、姿の美しい人であった。主は言われた、「立ってこれに油をそそげ。これがその人である」。 サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。そしてサムエルは立ってラマへ行った。」(サムエル記上 16:6-7, 12-13)
神は私たちを人間的な尺度で選ばれるのではないのだから、私たちは人間的な魅力あるものを主に期待するのではない。
神が祝福する心を持つ者でありたい。
愛する天のお父様、あなたの選びを感謝します。あなたに従う心をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。