生きている者の神
「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。」(マタイによる福音書 22:32)
あるサドカイ人がイエスに質問した。サドカイ派の人びとは、自分たちは、ソロモン王の時代に大祭司であったザドクの子孫であることを誇りにしていたため、サドカイ派という名前が付けられたようである。彼らは、宗教的には保守主義者で、モーセ五書だけを認めるだけで、その後の伝承を認めなかったため死者の復活も天使も認めなかった。(使徒23章)
質問はこうである。「先生、モーセはこう言っています、『もし、ある人が子がなくて死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。 さて、わたしたちのところに七人の兄弟がありました。長男は妻をめとったが死んでしまい、そして子がなかったので、その妻を弟に残しました。 次男も三男も、ついに七人とも同じことになりました。 最後に、その女も死にました。 すると復活の時には、この女は、七人のうちだれの妻なのでしょうか。みんながこの女を妻にしたのですが」。
イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。 復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。 また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。 群衆はこれを聞いて、イエスの教に驚いた。」(マタイによる福音書 22:24-33)
復活は確かにあるもので、復活した時には私たちは夫婦関係にとらわれることはなく、また天の御国では罪の問題もないため、天にいる御使のような存在として夫と妻は関わるのである。
死後のことに関しては神の約束があるから安心できる。大切なのは、今、現在である。生きている者の神であるからこそ、今生きている時に神との関係を大切にすることである。
今日も生きておられる主を礼拝し、賛美して歩みたい。
愛する天のお父様、あなたをほめたたえます。あなたに聞き従います。主イエスキリストの御名によって、アーメン。