真実を求めて

「どんな不正であれ、どんなとがであれ、すべて人の犯す罪は、ただひとりの証人によって定めてはならない。ふたりの証人の証言により、または三人の証人の証言によって、その事を定めなければならない。 その時、裁判人は詳細にそれを調べなければならない。そしてその証人がもし偽りの証人であって、兄弟にむかって偽りの証言をした者であるならば、 あなたがたは彼が兄弟にしようとしたことを彼に行い、こうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。」(‭‭申命記‬ ‭19‬:‭15‬, ‭18‬-‭19‬)

人間が不完全である以上、必ず問題が発生する。そうすると被害者本人もしくは検察が起訴する。裁判官は、起訴内容について事実かどうか、妥当な解決策は何かを考え、判決を言い渡す。最近は裁判員制度があるので、一般市民も参加できる。

社会的な司法システムまで行かなくても、私たちの日常生活での悩み事に関しても原則は同じだ。一人の人の訴えによって良し悪しを決めてはならない。それは偏り見てしまう可能性がある。だから相手の言い分を聞いた上で解決策を話し合うことが大切だ。

偽りの証言についても気をつけなければならない。人は自分に不利になると考えると嘘をつく。無理が通れば道理が引っ込む。私たちが偽証することで罪のない人物を人生を狂わし、壊すからだ。偽証罪は実に深刻かつ重い罪である。

真実に近づくために証言や物証は大切だ。勇気がなければ真実に至らないのも然りである。正しいことを正しいと言い、間違いは間違いだとする勇気が欲しい。

愛する天のお父様、真実を語り、真実に生きる勇気をお与えください。主イエスキリストの御名によって、アーメン。