戦いは外の嵐に勝つことよりも自分の内面の中で勝たなければならない
聖句:”そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。 すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。 ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。 イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。 イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」 彼らは非常に恐れて、互いに言った。「風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。」” マルコの福音書 4章36~41節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
観察:
人生は嵐の連続です。嵐は突如としてやってくることがあります。それが思いの外長く続くことも。そして、その中には自分で乗り切ることができる嵐もあります。また、私たちが嵐の凄さに圧倒されてしまう時もあります。ある時は、嵐が来ることが予想でき、それに備えられることもありますが、そんな時でも、嵐の後の爪痕に呆然とさせられることもあります。
私たちが、嵐が吹き荒れる状況にどうしようもないと思う時、 恐れは現実のものとなります。今週、末期がんに侵されている友達と会話をすることがありました。
彼は、こんなことが自分の身に起こるなんて想像もしていなかったと言います。しかし、彼のキリストへの信仰のゆえに、日々、がんであることを冷静に受け止められていると言っていました。 そして、今、彼は病床につき、がん治療を受けています。 人生での不確実性は多くの人に人生で何をすべきかを考えさせます。イエス様の弟子たちは、多くの群衆を後に、向こう岸に向け舟に乗り漕ぎ出しました。最初はなぎの中、何事もありませんでした。しかし、程なくして
激しい突風が起こり、波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになっていました。誰も予想もしなかった暴風雨が彼らを襲ってきたのです。 しかし、人生での嵐が私たちに襲いかかってくるのと同様に、キリストが私たちの乗っている舟に乗っていてくださっていることを知ることは、私たちにとって安心につながるものです。私たちの舟は、人生の荒波にさらされた海を航海する私たちの人生そのものです。どんな嵐の時も、私は、イエス様が休んでおられるのを見て、そこから力を引き出していかなければなりません。キリストの臨在は私たちが力と慰めを見出すのに十分なものです。
私は人生の嵐の時に、弟子たちのようにそれを恐れるのではなく、キリストに目を向けなければなりません。すべての人生の嵐において、イエス様がどのようにその嵐を鎮められたのかを学ばなければなりません。嵐に私をコントロールさせてはいけません。嵐の中でも、私は自分のことを自分でコントロールしなければならないのです。 イエス様がされたように、§ 嵐に立ち向かう§ 風を叱りつけることを学ぶ §嵐を鎮めることを学ぶ§ 嵐に向かって言葉を発することを学ぶ
自分の周りで起きた嵐が問題ということではなく、問題は、嵐が自分たちの内面を揺るがすことです。
乗っている舟を襲った嵐や大波のように、自分の周りで起きたことよりも、人の内面で起きる信仰の危機の方がより大きな問題です。外の問題に勝利する前に、自分の内面で勝利しなければならないのです。
適用: 私は毎日このことを思い出す必要があります。 人生においてどんな嵐が吹き荒れようとも、イエス様の臨在が私とともにあることを常に見て、知っていなければなりません。
祈り: イエス様、どうか、あなたの臨在が常に私と共にあることを私が知ることができるよう、私を助けてください。私の人生のうちでの不確実な状況において、あなたは私のシェルターです。あなたを日々どのように信頼していったらよいか私に教えてください。あなたの翼の下で私を守り、私が立ち、自分の中での戦いに勝利できるよう私を助けてください。アーメン!