神様に喜ばれる生き方

聖句:”最後に兄弟たち。主イエスにあってお願いし、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてください。 私たちが主イエスによって、どのような命令をあなたがたに与えたか、あなたがたは知っています。 神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。あなたがたが淫らな行いを避け、 一人ひとりがわきまえて、自分のからだを聖なる尊いものとして保ち、 神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、 また、そのようなことで、兄弟を踏みつけたり欺いたりしないことです。私たちが前もってあなたがたに話し、厳しく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて罰を与える方だからです。 神が私たちを召されたのは、汚れたことを行わせるためではなく、聖さにあずからせるためです。 ですから、この警告を拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたにご自分の聖霊を与えてくださる神を拒むのです。” テサロニケ人への手紙 第一 4章1~8節

観察:

         パウロは、テサロニケのクリスチャンたちに、神様に喜ばれるためにどのように歩むべきかを私たちから学び、現にそう歩んでいるのですから、ますますそうしてくださいと、彼らに励ましを与えています。神様が喜ばれる人生とはどのようなものなのでしょうか?

·     聖なる者となること

·     淫らな行いを避ける

·     一人ひとりがわきまえて、自分のからだを聖なる尊いものとして保つこと

·     異邦人のように情欲におぼれないこと

·     そのようなことで、兄弟を踏みつけたり欺いたりしないこと

  これらは、信仰者である私が神様に喜ばれるように生きるための指示です。  私はもう、未信者のように情欲を喜ばせるために生きるのではありません。 私は自分の肉体と情欲をコントロールし、神様に喜ばれる生き方をしなければなりません。 神様は私を汚れた生き方をするように召されたのではありません。 私が、神様が喜ばれる以外の生き方をするなら、私はまだ罪の中に生きているのだという気づきです。

この警告は、聖なる者にふさわしくない生活を送り、性的不品行に手を染め、肉体の情欲をコントロールせず、情欲のままに生きたり、兄弟姉妹を利用したりする信者は、神様に喜ばれない人生を送る者である、というものです。

  また、神様を喜ばせる生き方についての命令を拒む信者は、人間の命令ではなく、神様、つまり聖霊が私たちの内に住んでおられ、その聖霊を送られている神様そのものを拒むものです。 私の人生は、神様に栄光を帰すきよく聖なるものでなければならないと、私はそのように常に教えられてきました。 神様を敬う生き方をするためには、神ご自身から与えられた命令に従う以外に方法はありません。 自分を喜ばせるために生きるか、神様を喜ばせるために生きるか。 このことは、私が神様に従っている間、絶えずつきまとう現実です。 しかし、私は常に神様が言われた、どんな人生が神様を喜ばせる生き方なのか、それを選ばなければなりません。 私はもはや自分のものではなく、神様のものだからなのです。 私が今生きている人生は、神様を喜ばせるための人生です。

適用:

         私はいつも自分がすべきことをできているわけではありませんが、私のうちに宿る聖霊が、絶えず私に語りかけ、神様の喜ばれないような選択を私がしようとしていることを気づかせてくださっていることに感謝をします。 私は、神様にふさわしく、常に神様を称え、神様に栄光を帰すような方法で、自分の人生をもっともっと神様にゆだねていきたいと思います。 また、神様を喜ばせるために生きる人生は、他人を利用することではないと教えられました。 イエス様に喜ばれ、人を励ますような生き方をするために、自分の人生を完全に捧げていきたいと思います。

祈り:

         父なる神様、どうか私が正しい選択をし、あなたを喜ばせるような生き方を全き意図をもってすることができますように。 私は自分の肉が私たちの関係の妨げとなることをいくどとなく許してしまったことを悔い改めます。 どうか、私の思いがきよく聖なるものであり、あなたに栄光を帰すことのできる、子どもとなれるよう、私を助けてください。 誘惑に負け、あなたによろこばれないことをしてしまう私を許してください。 私は日々あなたを必要としています。 どうか一日中、あなたの心を喜ばせることをいつも私に語ってください。 アーメン!