エゼキエル: イスラエルの家を見守る者
「それゆえ、人の子よ、わたしはあなたを立てて、イスラエルの家を見守る者とする。あなたはわたしの口から言葉を聞き、わたしに代って彼らを戒めよ。 わたしが悪人に向かって、悪人よ、あなたは必ず死ぬと言う時、あなたが悪人を戒めて、その道から離れさせるように語らなかったら、悪人は自分の罪によって死ぬ。しかしわたしはその血を、あなたの手に求める。 しかしあなたが悪人に、その道を離れるように戒めても、その悪人がその道を離れないなら、彼は自分の罪によって死ぬ。しかしあなたの命は救われる。」(エゼキエル書 33:7-9)
エゼキエルは神から預言者として召された。エゼキエルは神が契約を結んだ民、主の民と呼ばれたイスラエルの民に、主に対する反逆行為である偶像礼拝をやめるように戒めよと言われた。エゼキエルは主によってイスラエルの家を見守る者として立てられたのであった。
イスラエルの家を守る者として主がエゼキエルに託されたことは、エゼキエルが主が語られた通りに語るということだった。それがエゼキエルや人々の意に叶うかどうか別問題であった。
主はエゼキエルに言われた。「わたしが悪人に向かって、悪人よ、あなたは必ず死ぬと言う時、あなたが悪人を戒めて、その道から離れさせるように語らなかったら、悪人は自分の罪によって死ぬ。しかしわたしはその血を、あなたの手に求める。 しかしあなたが悪人に、その道を離れるように戒めても、その悪人がその道を離れないなら、彼は自分の罪によって死ぬ。しかしあなたの命は救われる。」
預言は適当にやれば良いというものではなく、まさに真剣勝負である。エゼキエルは言われた通り語るのみだった。
現在東京で働きをする者として、東京、および日本の家を守る者という意識を持ってやることが重要かもしれない。主が東京、及び日本に語られているメッセージを掴まない限り、何を語るべきかわからない。
主の声を聞き、主のメッセージを伝える者でありたい。
愛する天のお父様、あなたのみ声を聞き、語る者としてください。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。