測ることのできない大いなる神

「彼が大いなる事をされることは測りがたく、 不思議な事をされることは数知れない。 見よ、彼がわたしのかたわらを通られても、 わたしは彼を見ない。 彼は進み行かれるが、わたしは彼を認めない。 見よ、彼が奪い去られるのに、 だれが彼をはばむことができるか。 だれが彼にむかって『あなたは何をするのか』と 言うことができるか。」(‭‭ヨブ記‬ ‭9‬:‭10‬-‭12‬)

神は大いなる事をされる。その大いなることは測りがたい。そして神は不思議な事をされるが、それは数知れず多くの人々が体験している。

神が生きて働いておられることを私たちは認め、信じることができるだろうか?自分たちの考えや物差しで勝手に神を測り、結論づけ、また教えたりしていないだろうか?

ヨブは言った。「これから見よ、彼がわたしのかたわらを通られても、 わたしは彼を見ない。 彼は進み行かれるが、わたしは彼を認めない。 見よ、彼が奪い去られるのに、 だれが彼をはばむことができるか。 だれが彼にむかって『あなたは何をするのか』と 言うことができるか。」

神がいないかのように振る舞い、生きることはできない。なぜなら神は私たちを見ておられるからだ。たとえ私たちに神が見えなくても、神は私たちのことを見ておられる。

そして神の働きを止めることなどできない。神のなさることに抗うことはできない。

神の偉大さを認め、神を賛美し、神に人生を委ねて歩みたい。

愛する天のお父様、あなたは私たちのことを見ておられ、私たちが自分自身のことを知る以上に知っておられます。あなたを賛美し、礼拝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。