自分のなすべきことは?
「万軍の主はこう言われる、あなたがたは、自分のなすべきことを考えるがよい。 山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。 あなたがたは多くを望んだが、見よ、それは少なかった。あなたがたが家に持ってきたとき、わたしはそれを吹き払った。これは何ゆえであるかと、万軍の主は言われる。これはわたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている。 それゆえ、あなたがたの上の天は露をさし止め、地はその産物をさし止めた。 また、わたしは地にも、山にも、穀物にも、新しい酒にも、油にも、地に生じるものにも、人間にも、家畜にも、手で作るすべての作物にも、ひでりを呼び寄せた」。」(ハガイ書 1:7-11)
バビロン捕囚から戻ってきた時、エルサレムにあった神殿、主の家は荒れ果てていた。
だから万軍の主は、イスラエルの民に自分のなすべきことを考えるように言われた。彼らのすべきことは何であったのか?
イスラエルの民は、おのおの自分の家の事だけに、忙しくし、主の家は依然として荒れ果てたままであった。だから、主は彼らに山に登り、木を持ってきて主の家を建てるように言われた。
自分のことばかり考えていないで、主の家のことを考え、顧みるように言われた。困った状況の中で私たちが目を向けるべきは自分の生活ばかりではなく、神ご自身また神の計画に目を向けることだった。
私たちが主の働きのために出て行き、必要が備えられるように働く時、主はそれを喜び、かつ栄光のうちに現れてくださる。
私たちの生活は主が守り、必要をすべて備えてくださるのだから、主の働きのために汗をかいて働き、心を主にささげていきたい。
愛する天のお父様、あなたの家のために今日も働きます。主イエスキリストの御名によって、アーメン。