敵対者を祝福される神
「主はエジプトを撃たれる。主はこれを撃たれるが、またいやされる。それゆえ彼らは主に帰る。主は彼らの願いをいれて、彼らをいやされる。 その日、エジプトからアッスリヤに通う大路があって、アッスリヤびとはエジプトに、エジプトびとはアッスリヤに行き、エジプトびとはアッスリヤびとと共に主に仕える。 その日、イスラエルはエジプトとアッスリヤと共に三つ相並び、全地のうちで祝福をうけるものとなる。 万軍の主は、これを祝福して言われる、「さいわいなるかな、わが民なるエジプト、わが手のわざなるアッスリヤ、わが嗣業なるイスラエル」と。」(イザヤ書 19:22-25)
エジプト、アッシリア、ともにイスラエルを苦しめた国々である。エジプトはイスラエルを奴隷とし、現イラク北部に位置したアッシリアは、イスラエル北王国を解体させ、イスラエルの民はバビロンの捕囚となった。
エジプト、アッシリアもイスラエルという神の民を苦しめたことで神が撃つ敵として描かれる一方で、イザヤはこの二つの国の癒やしと回復について預言している。「エジプトからアッスリヤに通う大路があって、アッスリヤびとはエジプトに、エジプトびとはアッスリヤに行き、エジプトびとはアッスリヤびとと共に主に仕える。 その日、イスラエルはエジプトとアッスリヤと共に三つ相並び、全地のうちで祝福をうけるものとなる。 」
かつて主が撃たれた国を主は癒すと言われた。癒しはおろか、イスラエルはエジプトとアッスリヤと共に三つ相並び、全地のうちで祝福をうけるものとなる、とまで言っている。神の民に敵対した国でさえ、主がよしとされるなら、滅びを免れ、癒され、祝福される。「さいわいなるかな、わが民なるエジプト、わが手のわざなるアッスリヤ、わが嗣業なるイスラエル」
私たちは主の救いを受けるまでは、主に敵対し続けてきた。主を信じるのではなく、自分自身を信じること自体が神に対する罪である。しかし、私たちの神は憐れみ深い。私たちの過去の黒歴史をも明るい未来へと変えてくださるお方である。私たちが仕える神が、私たちを愛し、憐れみを注いでくださることに感謝して歩みたい。
愛する天のお父様、あなたは私たちの救いの神、私たちを癒し、回復させてくださいます。何よりもあなたは私たちの不信や反抗に罪を赦し、祝福で満たしてくださることを心から感謝します。今日もあなたに信頼して歩みます。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。