試錬の中にある私たちを助けてくださる
「主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。」
(ヘブル人への手紙 2:18)
イエスは地上においてあらゆる試練を通らされた。33年半の短い生涯で世界をひっくり返すような影響を与えられたが、その中ではあらゆる苦しみを通らされた。
人類を永遠の滅びから救う永遠のあがないを達成された十字架の死こそイエスにとって最大の苦しみ、 試練であったことだろう。
イエスはユダヤ人やローマ駐屯軍に渡されて裁判を受ける前にも、イエスは父なる神に祈った。「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。」(マルコによる福音書 14:36)
十字架は、自分から取り除かれることを切に願うほど、感情的に辛い体験であった。しかし主は父なる神の御心、ご計画を最優先した。
イエスが必ずしもすべての苦しみを体験していなくても、すべての事柄やすべての領域に関する理解を持っておられる。病気、経済的なチャレンジ、人間関係、家庭問題、生活苦など多義にわたるチャレンジさえも主は慰めを与え、また助けてくださる。
それはイエスが父なる神の御心に従い、十字架の死と復活により死と罪の滅びに打ち破られたからこそ、私たちを救い、また試錬の中にある者たちを助けることができるのである。
試練の中でも私たちには永遠のいのちという希望があることを忘れてはならない。
愛する天のお父様、あなたの慰め、あなたの助けを感謝します。主イエスキリストの御名によって、アーメン。